2016年2月29日月曜日

Eddie the Eagle タロン君のうたうThrill Me のあり得ない'80s感!

なんと!タロン君とヒュージャックマンの歌う、Thrill Meを録音してあげてくれている方がいた!
ここで見て(聴いて)みて

あげたご本人がShitty recording とおっしゃられているだけあり、確かに音質いまいちだけど、映画どころかCD出るまで聞くことが不可能なガラパゴス住人には非常に有り難いものでございます。Thank you!!!!  とビッグハグをしてさし上げたい気分。

この曲のあまりのOMD感に驚いた。 いやたぶんそれを意図して作られた曲でそう聞こえるよう歌ってあるのだろうけど、この曲がどこかででかかってきたとしたら、うーん、思い出せないけどなんっだったけ・・・くらいのこと考えてしまいそう。Come on, thrill me でやっとあれ?と気づくだろうか。

音が全くOMD(Orchestral Manoeuvres in the Dark)。そりゃアンディ・マックラスキーがからんで、80年代への懐古趣味で作られてるサントラなのだもの。OMDで当たり前なのだけど、タロン君の歌声の違和感ゼロなのにも驚いた。 

OMDに馴染みのない方ぜひこれを。


タロン君、声質感までしっかり80年代再現してるでしょ? 私と同世代のヒュー・ジャックマンがべた褒めしたのも納得です。

本日思わずなつかしくなり子供といったカラオケでOMD曲探してしまいました。
エノラ・ゲイ↑をはずしながら歌ってきたけど、数か月前に『母と暮らせば』みて思いっきり涙した後だったからか・・・・It's eight fifteen とかで泣けてきてしまった。
昔は歌詞の意味まで深く考えたことなかったけど・・・なんとなくそう言ってくれてありがとうと思ってしまいました。

80年代もの、カラオケで歌おうとして歌詞見て・・・これも実は反戦歌だったんだ…と気づくもの結構あります。 
日々のことしか考えていなかった少女時代、バブルだったしあまりどこぞで戦争やってた記憶って思い出せないのだけど(恥)。

次の冬まで来ない映画以上に私はあと3週間ほどで発売のサントラが楽しみ。
80年代のミュージシャンが軒並み80年代を懐古して作ってくれてるサントラは80年代少女の私には待ちきれません。ほかのもめっちゃ楽しみ。

そしてタロン君にほかの曲も歌ってほしいなぁ…とついつい思ってしまいます。

全然関係ないけど、山ほど上がってきている動画の中でこれ↓見て思わずヒューの腕の大きさとタロン君の頭の大きさを注視して見比べてしまいました。(昔僕の頭より大きいと言ってたので)



けどヒュージャックマンって頭小さいなぁ・・・と。タロン君もしかして顔大きめなのだろうか?

そういえば、昔、大顔連とか言って英国人ミュージシャンが軒並み上げられてた記憶が・・・。筆頭だったのが言うまでもなく、ボーイジョージで(彼はまったくドラえもんでした。初来日行ったけど)、今回サントラに参加してる、ABCのマーティン・フライなんかも入っていた記憶が…。

2016.02.29 17時間後に追記
この記事ちょっと前のですが、とてもうれしくなってしまいました。

This Ultimate 80's Homage, Curated By Take That's Gary Barlow, Features Brand New Material From Tony Hadley, Marc Almond, Holly Johnson, Paul Young, Kim Wilde, Andy Bell and Many More…

こんなうれしいことってありません。
タロン君にひたすら感謝です。だってこの映画、スポ根もオリンピックも興味のない私がマシュー・ヴォーンが監督するならともかく、プロデューサーだったくらいでフォローしたとはとても思えません。
タロン君のおかげでこの素晴らしいThis Ultimate 80's Homageをスルーすることなくオンタイムで(っても日本じゃ遅いけど)少なくともCD聞けるのはものすごくうれしいです。
キミにはまってホント良かったよ。どう感謝していいかわからないくらい。感謝しきれないくらい。
私は特にマーク・アーモンドとニック・カーショウが楽しみ。♪


再び追記 (20時間後)
トラックリスト 6. Nik Kershaw, “The Sky’s the Limit” ニック・カーショウの曲は今回新規でなく既出のものでした。しかしこれはなんとぴったりな歌。

もともとニック・カーショウとかはMTV見るたびにかかってたからめちゃ懐かしいのですが、どうもこのところThe Riddleがキングスマンと同様の中毒症状をもたらせているような気がします。
何故だろう?明日も歌ってこよう。


あと、Take ThatのGet Ready For It もカラオケあれば歌うんだけどなぁ。あれはキングスマンのリピート観でかなり覚えてしまったし。もう入ってる機種ってあるのかしらん。





2016年2月28日日曜日

レジェンド 狂気の美学 エロティシズム比較③ 近親愛と破滅

前記事2件(これこれ)にてテキトーにThe Smoke とLegendの2映画におけるエロティシズム比較と謳ってしまいましたが、本作Legendがそっちにおいて強調されているかというと意外にもそうではありません。単純にタロン・エジャトンがどちらでも脇役で魅惑的な少年を演じているということ、同性愛傾向ものということ比較しようとしたのですが・・・The Smokeは脇役とはいえ、主役のジェイミー・バンバーファンサイトですら、タロン・エジャトンが好演した少年の物語だったと認めるくらい準主役の重要人物であり、主役も食う勢いでした。ですがレジェンドでは目の保養になるアクセサリーに徹してます。それはそれでよいのです。
やはりフォーカスがかつて人々に怖れられたふたごのギャングの残酷非道な悪行、暴力性なので、そこを強調するためにエログロ採用してみた感は否めません。

であれば、もっとそこを徹底してほしい。この映画に関していえばちと生ぬるい。かつ裏顔的なひそかにゾクゾクするようなエロティックさにやや欠け気味だと思います。監督へルゲランド氏のコメンタリーも聴きましたが、私が受けた印象は監督が狙った部分と大差ないとは思ったので、だったらもっとこうしようよ-と大いに言いたくなりました。

お稚児コンビ
諸説ありすぎるクレイ兄弟の逸話。監督自身も、最後にこれが僕バージョンの『伝説』のレジェンドだから…と言っておりました。2時間程度の映画でしかもふたごの台頭から逮捕されるまで…の数年をまとめるのに、人間の心の機微などにフォーカスするのが無理。これも総時間300分以上のTVシリーズにしていたらもっと面白くなるのではないかとと思います。

レジェンドは可愛いお稚児はお稚児で横に置き、注目すべきはふたごなのです。それはトム・ハーディの一人二役の怪演の評価だけでなく、さほど露骨に出されていないけど端々にあるふたごの関係。ナレーターを務めたフランシスも不要…とまでは言いませんが、もうちょっと横においてアクセサリー化、このふたごの関わりオンリーでとことん突き詰めたほうが良い出来になったのでは思います。その点でちょっと消化不良感。

この同じ顔したふたご同志の愛憎。ふたごの片割れロニーのレジーへの執着(フランシスはライバルの様相) レジーのロニーへの愛情と憎悪、ロニー異常さを共有、内在する自己嫌悪に苦しませ、変態息子(ロニー)を溺愛する母には頭も上がらず、愛したはずの女一人守れない自分への憎悪と八つ当たりで最後にロニーのお気に入りのおもちゃテディを遠慮なく殺させたほうが、トレーラーの印象と同じくらいの、残虐非道とエログロ満載映画になったと思います。申し訳程度に挿入されていたジジイの乱交パーティだってあの程度のチラ見にするなら、別に不要です。

トムハーディが、変態ロニーのほうにより執心したってのはちと残念な気がします。監督はレジー役を打診するつもりでトム・ハーディと会食。監督はレジーの話ばかりし、トムはロニーの話ばかり。トムは『ロニーを僕にくれたら(監督の欲しい)レジーをあげる』と提案。晴れて一人二役に収まったのです。

レジーのほうがより深いキャラになりえたのに
レジーをただただ粋なやくざととらえちゃうのはもったいない。明らかにスキゾ判定出てしまうロニーより、まともそうなのに実はスキゾと全く同じ血が流れてるし、残虐性も内包していて、そのことにも苦しんでると思われる。そこにもっとフォーカスしてくれたらいいのに。
ロニーは動物的だ。イカレてるけどただ動物的本能に基づくシンプルな奴だと思う。ハチャメチャぶりが性格俳優となりつつあるトム・ハーディには面白かったのだろうけど、複雑なのはレジーの方、より細やかにかつ激しく衝動と理性の間で苦悩するのも、ロニーでなくレジーの方。なのでレジーに気合入れてこそ…だと思うのだけど。


変態ロニーが欲するのは実はレジー。テディを筆頭にお稚児はすべて代替品でしかない。フランシスは堂々とレジーに添えるライバルだ。ママと一緒にレジーが可哀そうだなどど、一緒にフランシスをいびる小姑ぶり。(あの図体、あの面構えで小姑なのは気色悪いです)




ふたごが殴り合いの後、ロニーが立ち上がらせようと差し出されたレジーの手を引っ張り自分を抱かせて、「俺はもろいんだよ」とレジーに甘える姿。ロニーが欲しいのは自分と同じ顔したレジーなのだと確信。同じ顔したふたごが血みどろで抱き合う姿はそれだけでエログロ感漂います。

グロテスクな兄弟愛・・・どころかすでに近親愛。ロニーの度を越えた片想いに応えられないレジーの苦悩のほうがずっとドラマティックでエロティック。テディがふたご母もレジーも公認な理由がこれなのだと理解。
 
彼らは動物的なロニーの歪んだ近親愛の的のレジー代替品としてテディをロニーにあてがっているのです。テディを与えることでレジー本人の尊厳を守る。具合の悪いロニーが抱きしめてもらいたい相手はレジーであり、レジーに全部脱がせてもらい、構ってもらいたいのだ。絵的にはかなりグロテスク。あまり想像したくないけどそうとしか思えない。

2002年にBBCの特集でレジーがテディを殺したと服役中に告白されたと言ってる元同房の服役囚が登場していたそうです。テディはフランシスの死後忽然と姿を消し、それまでもレジーが殺して川に捨てた云々は言われていたそうです。(ただ亡命説もあります)
終盤のマクヴィティ殺害現場にお稚児片割れレスリーはいますがテディの姿はありませんでした。

レジーが愛くるしいテディを惨殺(実際は銃殺)なぞしたら別の意味で物議をかもしそうだけど、ここは腹を括って思い切ってやり通してほしかったと思った。

マクヴィティのメッタ突きはただの本人への制裁で十分。ムシの居所も悪かったのでメッタづきにしただけでもいいのではないか。 監督のへルゲランド氏はレジーがマクヴィティ殺した後、ロニーが「なんでやったんだ?」と聞くのに対して、「お前(ロニー)を殺せないからだ」
と怒鳴るセリフがとても気に入っていたらしい。 監督はマクヴィティがなぜ常軌を逸した殺されかたをしたのかをリサーチしたそうです。マクヴィティはヤクの売人もやってたらしいけど、フランシスに薬を売った形跡はなかったので、フランシスの仇にはならないから(∴ロニーの身代わり)とのこと。

監督のお気に入りのこのセリフ、それならテディ殺して言わせた方が効果的。ただへまこいたマクヴィティが愛憎の狭間で殺せない弟の代用ではちょっとしらけます。

ロニーに血縁の弟への愛情までしか持たないレジー。ふたごの絆、血の強さ、何が何でも守りとおすつもりの弟であり、十二分に強い愛ではあるけれど、その弟の望みを叶え切れないジレンマ、自分自身の男としての出世への渇望、自分にも潜んでいるかもしれない弟と同じ狂気、めちゃくちゃな弟の姿は自分自身かもしれない恐怖と嫌悪。 時代を仕切ったやくざ男の裏顔の苦悩としては突き詰めるのには最高。
ジョルジュ・バタイユの眼球譚の神父様なみの悲痛さと抱き合わせ、それを怒りで弾こうとする強さも持ち合わせそうなレジーはとても魅力的になると思う。 
そして、トム・ハーディそれくらいやり遂げそうな役者さんだとも思う。そうすれば、もう怖いものナシだ。
レイヤーケーキのヴォーン監督コメンタリーにあったけど、当時新人だったトム・ハーディはセリフや出番をもっと欲しがっていたらしい。確かにあの映画の中では美貌のお兄ちゃんでしかなかった。年齢的にも今のタロン・エジャトンくらい?。
10年強で驚異的に成長、これでクラブオーナーとして財を成す出世欲と泥臭い近親愛の欲情の狭間で堕ちていく男の自己嫌悪と恐怖の葛藤を演じきったら怖いものなしの熟練俳優。
 
この路線のままでこうして欲しかったところ。

★ レジーがフランシスに暴力を振るった直後、レジーにもっと苦悩させる。レジーにとってフランシスは大事であった。これはクラブオーナーとしてゴージャスな美人妻はmustでもある。(実物フランシスはベベ(BB:ブリジットバルドー)と言われたくらいの美女であった。
★ やはりレジーのテディ殺害説は活かしてほしい。短いシーンでいいのだ。ふたご母がテディをロニーと一緒に泊まらせたせた翌日、テディにロニーのシャツズボンの処理をぬかりなくやったか確認してロニーの具合を確認。もう、この時点でフランシスにも死なれたレジーはかなり参っているはず。
第一希望: 報告したテディが調子の悪そうなレジーを気遣い、レジーにふれて微笑みかけた。一応ストレートのつもりでいるレジーはロニー同様に色目使うテディに頭に来るのとともに、このお稚児を人身御供としてロニーに与えている自身への嫌悪感にもやり切れなくなり、衝動的にテディ暴行の末に殺害。
第二希望: 報告したテディが調子の悪そうなレジーを気遣い、ちょっとふれただけでカンに触って衝動的に銃をむけて殺害。

マクヴィティはロニー同様、衝動行動に抑えが聞かなくなってきたレジーの八つ当たり程度でいいのだ。死体を車に放置したところからして、判断力などなくなっている。
第一希望路線で行くなら、ヘルゲランド監督でなく、ジョン・ヒルコート監督あたりなら、それまでもふたごのグロテスクな近親愛と葛藤を残虐に理解不能な熱気とともに描いてくれそうだ。テディの愛くるしさをコントラストとして活かし、情け容赦なく無残に殺してしまいそう。

第二希望路線ならへルゲランド監督でもいけたんじゃない?ここはひとつ気合入れ切ってほしかったと切におもう。

と言っても何もタロン君殺される姿をあえて見たいわけではない。けど、この映画のあの最初トレーラー並みの高揚感も含めた感覚を維持するのであれば、そのくらいやり切らないと生ぬるさを感じてしまう。

そしてロニーがゲイであることよりもロニーのレジーへの近親愛に重点を置くべきだった。

私がこの映画に執着するきっかけのタロン君/テディにも言及しておきます。

従順なお稚児
実物マッドテディがここまでお稚児だったとは思わない。テディ自身、才能も有り、単独でも十分にサイコ入った悪党だったと思われる。ただし、この映画ではまるっきりお稚児さん。
タロン君がいつまでも少年感残し幼いからかもしれないが、このお稚児テディの愛くるしさ、ふたごには従順そうな仕込まれ済み感は効果的だけど、幼く見えるだけにちょっとひいてしまう。そこに萌える人もいるかもしれないけど『闇の子供たち』なみに、調教された少年感があるのはペドフィ(幼児性愛)嫌いには見るのがキツイ。イメージが湧いてしまうテディの過去はあまり考えたくないものだ。調教したのがふたごなのか、別なのかはともかく。

昔、風と木の詩という竹宮恵子氏の漫画は愛読したが、長じてブックオフで懐かしさに立ち読みしたところ、大人買いに走るどころか、気分が悪くなってしまった。今、こんな漫画が世に出たら、私はPTA立場で出版社訴えると思う。主人公たちが幼すぎる。当時竹宮恵子氏は男女の絡みだと検閲入ってボツにされるから少年愛の話にしたと書いてあった遠い記憶がある。
だけど今見ると、こんな年齢一ケタの子供が体までほてらしてどうするっ。美学どころか、幼児性虐待を正当化し、幼児ポルノを増長させるのに加担してるだけとしか思えず、吐き気がした。最初にオーギュに動物のように扱われるジルベールは記憶では確か4歳だ。(←違っていたとしても余裕でひとケタなのは確か) 後年、氏の漫画にはあまり興味が持てなくなっていたのにもなんとなく納得した。

つまり、いかにも従順そうな愛くるしいテディをみると、ペドフィとセットの…嫌悪感が来てしまう。 ただし、テディ調教済感はこの映画の残虐性レベルを上げるのにも、ふたごの悪党感アップにも大いに貢献している。シャツひとつ脱ぎもしないのに、これだけ煽れるタロン君はやはりすごいとは思う。

脇役少年がここまで引き上げてるんだから、やはり本筋主役の残虐性もエログロもずばずば描き切るべきだったと思った。本筋の方でもっと吐き気を伴うような、グロテスクな熱さを感じさせてほしいと余計に思った。




『レジェンド 狂気の美学』 関連記事はこちら



2016年2月23日火曜日

The Smoke エロティシズム比較② 少年版ロリータの切ない無償の愛

さて、前記事にて、エロティシズム比較と謳いながら、大橋洋一教授の提唱される映画におけるゲイ示唆数比較と判定になってしまったので、今度こそ、私の主観に基づくエロティシズムを語りましょう。
前記事の大橋先生のゲイ基準判定ポイントによるとフツーにあらすじ読んだだけではそぶりも見せないThe Smokeは立派なゲイ物語となった。レジェンドにて判定基準に合致するところは少ないのだけど、判定するまでもなく堂々とゲイを公言しているのでそこはもちろん間違いなし。

ガラの悪い地域って何百年たってもそうなの…?ということを前にも書いたけど、どちらもロンドン東部の治安の悪い場所の話。60年代とその半世紀後。

どちらもソノモノを見せられることはなく、受け手の連想、想像力に頼る部分が大きい。それが最もパワフルだしともいえる。

The Smokeのエロティシズムは19歳の少年が幼く、異常にそそられる庇護欲とセット。保護者的な立場の人間が惑わされ、殺人にまで発展するどこかロリータに共通するものがあると思う。

いや、The Smokeのケヴとアズボの関りはまるっきり少年版ロリータだ。(ちなみにナボコフの原作はかなり前に読んでいるけど忘却の彼方。なのでここでのロリータはジェレミーアイアンズが中年の教授ハンバート・ハンバートを演じた映画をさす。)

レジェンドはどちらかといえば暴力とセットのサディスティックな感触。これには反応する特定の人と嫌悪する人の二種が出ると思う。 で、私はどっちかというと・・・残念ながら後者に近い。ペドフィが嫌いなのだ。ペドフィ感につながるのはかわいらしいお稚児と化したタロン君の功労による。この映画においてになるけど(実在テディがお稚児だったとは思えないので)この従順なお稚児に至るまでの道のりはあまり想像したくないかも。
とりあえず今回The smokeだけでかなり長くなりそうな気がするのでレジェンドは別途とする。

先に呼称をクリアにしておく。
アズボ=デニス・セヴァース 【タロン・エジャトン】
ケヴ=ガヴ(ウォッチの大将)【ジェイミー・バンバー】 

The Smokeは正直見るのがキツいドラマ。特にEP1。大火事の怖さと復帰後のケヴの傷だらけの姿。無理にちゃらちゃら明るく振る舞ってる姿。一人になるとすすり泣く姿。
チャーチル再出動なんてこっちの頭がおかしくになりそうなくらい変な野次馬ばっか。ミリオンダラーホテルの住人に匹敵するくらい、言葉も通じてなさそうな、酔っ払いだか、失業者だか、ジャンキーだかわからない、昼間っからぶらぶらしている底辺の人間の集団。
火元の住人(昼間っから寝入っていて日に全く気付かず)は消火活動のために蹴破られたドアの文句しか言わず消防士につっかってくる。7歳くらい子供のチュニック盗ませて走らせ、追っかける消防士を待ち伏せして鈍器で襲いかかる冷たい目の少年。現実とは思えない程のスラムぶり。

加勢に飛びかかっていく新人少年消防士をひょいとかわして持ち上げる悪ガキ少年のリアクションが意味深。「なんだお前か」とばかりに頬っぺたさわる少年。まるで飛びついてきたわんこでも撫でるよう。ペットのような所有物感がありありとしているこの少年二人の密かな主従関係を示すようなインターアクションは何気にやらしい。
おまけに主人公ケヴが痛ましい労災の傷跡、目を背けたくなるような傷だらけの下半身をさらしたあとに登場するのが新人消防士アズボのシャワーシーンのフルヌード。まだ幼さが残る真っ白な肌の上にいかついめのタトゥーが数点。〆は大火の渦中、ケヴが目にしたドラゴンタトゥーが真っ白なおしりの上で揺れてるシーン。 

これって生死をさまよった熟練消防士のぼろぼろに打ちひしがれ絶望に満ちた体と、無垢で真っ白な希望と若さにあふれる少年の体のコントラストだったのか。

この幼さの残る少年の真っ白な肌の上のドラゴンタトゥ。初回のEP1の最後がこのシーンってだけでかなり象徴的だったのかも。
見てはいけないものをこっそり見てるようなうしろめたさとともに、その意味深さがキョーレツ。 幼児体型(本人言われたくないかもね)、中性的な真っ白な肌の上のドラゴンタトゥー。
リスベット(ノオミ・ラパス)
本家Girlのほうがよほど男っぽい。
この幼さといかついドラゴンのコントラスト。本場本家ミレニアムのドラゴンタトゥーより小ぶりとはいえ(前者:左肩の上・後者:左おしりの上)より無垢感あるだけに加味される猥褻感ったらありません。発禁ものでも見せられてるエロティックさ。好みはあるかと思うけどどっちによりそそられるかっていえばこの少年の方でしょう。

ところがこの最強にエロティックで意味深なタトゥーはその後一切登場しない。最終EPの回想シーンまで。

何も語られないだけに、何故こんなものを…と探り入れたくなるし、アズボ本人の大火以前の過去なんぞ、ママの話す一時は手が付けられなくって大変だった…という以外(あ、あとはパパの犬に昔首かまれた)何もないので、余計に妄想を掻き立てられるとでもいうか。 普段は見えないおしりの上ってのが意味深だし。なんでこんなの彫ったのか・・・と。全然似つかわしくないし。
これだけ大きなタトゥーを見えない部分にって、自傷の一貫に見えてしまうし、自傷に走る少年っていえば・・・やっぱりそういう過去(性的被害を受けた)のある子でしょう。 
相手が所有物感ありありのゴグなのか、別にいて極道もどきのゴグに護られてきたのか、両方もアリ?
その後のEPでは一切出てこない癖にパワフルなイメージとして頭の隅に残ってしまうタトゥー。
このタトゥーもしかしてゴグにもあるとか?と思ったけど、ゴグのほうは一切肌を見せなかった。(サム・ギティンス、若いけど筋肉隆々、少年感が目減りするから?)そして最初にじたばたジャージがずり落ちておしりをさらしたのは確かにデニスの方だった。
ちなみに私が前に一つだけ遭遇した英語で書かれたファンフィク※(他はギリシャ語ばっかだった!)は文章が読みづらいのだけど、デニスはゴグに不本意なのに抱かれることへの抵抗で、自分の体の所有者は自分なだと証明したくてドラゴンタトゥーを入れたというものだった。

なるほどそういう理由もアリなのか。(ちなみにドラゴンタトゥーの少年というフレーズはこちらのファンフィクから拝借)
私はゴグとお揃いで入れてるんじゃないか(ゴグに誘われて一緒に○○の誓いとかで彫ったのかと)と思ったんだけど。
ゴグがタトゥー付きか否かは全く肌を見せなかったので不明。

アズボが背負う暗い過去は父親が強盗殺人で服役中ということ。ゴグはデニスがついてこないとそこを突いて囁き、貶めて意のままにする。それでもゴグはデニスは絶対殴らないし、あの大火の中でもデニスだけはちゃんと引きづって一緒に脱出するのだから、ゴグはデニスが大事なのだ。どんくさいデニスを小さいころから悪事にも巻き込むけどちゃんと守ってきたのもゴグだというのはよくわかる。そりゃあんな蛇少年がヨコで睨み利かせてたら誰もデニスになんか手出さないよ。
そしてゴグはデニス父とタイプが一緒。ついていくタイプのデニスと違いリーダー格。どっちもデニスを愛してくれる父と兄みたいなものだけど、人並みの倫理観と罪悪感を持つデニスにこれは不憫だ。なので余計にデニス母は心配して真っ当な大人のケヴに面倒をお願いするのだけど、ここでまぁ、頼られるケヴのうれしそうなこと!ママに "Dennis is safe with me." (デニスはちゃんと私が守りますから)と宣言しちゃうし、その後デニスが先輩にいじられてキレた後、屋上で話して肩にぽんぽんと手を置くケヴに笑いました。それ、ママが「お忙しいのはわかってるけど、たまにはあの子の方に手を置いてやって」と頼んだスキンシップなんだもん。でもバリバリワーキングクラスのケヴのスキンシップは体当たりだし、激しいのでその前からひいてましたよ、私。

ケヴの体当たりスキンシップも激しいけど、ゴグの舐めるようなスキンシップもかなりいやらしい。けれどこっちは見た目が美少年なので、全く少女漫画のBLの様相。
蛇少年、熱血正義の味方風のケヴ探りに来るし、ケヴに「奴は俺のだ」とタンカ切ります。(完全に三角関係)当然ケヴは遁走したデニスを家まで迎えに行き、ゴグとの関係を聞くのだけどそこはまた嘘をつくアズボ。ここですっかりだまされちゃって、デニスとゴグの関係の深さを読み違えたのがケヴの転落の始まりとしか思えない。フーリガンルックのこきたないノラ少年、しっかり中年男を「守ってあげたい」気分にさせ、惑わせてるのだ。

アズボはずるい。ゴグに脅されるとケヴ帰り道で座り込んで待ってて、「ゴグが、ゴグが・・・!」ってうろたえて見せて、庇護欲120%そそられた熱血ケヴはちゃんとお持ち帰りしてあげるんだもん。「ゴグがつけてるから、あんたの家までわかっちゃう」なんて怖がって見せて、ケヴが引くわけないじゃん。余計に男らしく、守る気満々になっちゃうよ。わかってやってんじゃない・・・?とたまに思った。まるでこずるい女の子だ。

そして頂点のウソがばれる日。信じていたアズボのウソがばれ、アズボはケヴ人生奪われた大火の中に置き去りにした犯人の一人だった。周りがアズボの出自からアズボを毛嫌いしてもそれをとりなし守り続けてきた。ケヴはまったく人の話に耳を貸さず、多少の疑惑は自身で打消し、アズボを愛してきた。アズボが告白しようとしているときでさえ、もう知りたくないとすら思っている。

人間って自分の見たいものを見たいように見る生き物なのだとつくづく思った。

ただケヴがアズボをいいようにとらえたのにも理由があった。 
ひとつはケヴ自身の問題で、ケヴは復帰後自分がウォッチ大将として完全に回復しており適任であることも証明しなければならなかった。職務上、劣悪な出自の新人でも育てる責任もあった。チャーチルを目の敵になどできない。
ケヴの辛さを感じ受止めるのには長けている
それからアズボは特別であった。アズボだけがケヴと大火の恐怖の空間を共有し、赤ん坊の死の責任も感じている同志。ケヴのトラウマの現場を目撃しているのもアズボだけ。同じ波長で共感してくれる唯一の人間だった。アズボはのちにはケヴの庇護欲に乗りっぱなしだけど、ケヴの心情を感じ取り絶妙なタイミングで寄り添ってケヴを癒す。それがEP2のじゃれっこと野宿。

その芸当にはトリッシュも適わない。アズボがよくケヴの寝顔を覗き込み(夜勤とかです)、寝ぼけまなこのケヴがぼんやりと目にするのがアズボの顔なのも、トラウマから抜け切れないケヴとそれを心で詫びているアズボの共鳴空間。ケヴとアズボはちょっとした共依存でもある。

若くて健康な少年アズボはケヴが労災でなくしてしまった未来をすべて持っている。ケヴの羨望そのもの。Noが言えずに他人に振り回されるアズボにとっても、男らしく強い大将ケヴは羨望。どちらも相手が自分になくて欲しいものそのもの。なくしてしまった自分を少年に投影する中年男と中年男をなりたい自分として追う少年は相思相愛。ふたりにつける薬なんかない。


話をEP6に戻そう。
出所した父親まで登場、かつ殺人を正当化して罪を悔いる様子もない姿に耐えきれなくなるアズボ。同じ血が流れて、同じように罪から逃れてる自分もずっと許せないできてもう限界。

「俺、死ぬ根性があったらいいのに」と泣きじゃくるアズボ。裏切られていたケヴも涙目でアズボを責めるものの、「俺、危険なんかじゃないよ、ガヴ」とさらに涙をこぼすアズボに、泣かせてるケヴのほうこそ壁に額打ちつけて死にたい気分になっただろう。

この少年、かわいすぎるのだ。憎みたくても憎めない。


スペインに連れていくという父親にやはりNoが言えず、「俺、スペイン行きたくない。ガヴのそばに置いてほしんだ」と振り返って目で訴えてるアズボ。ケヴは怒りで行ってしまえと怒鳴るものの、愛着も有り、自分が失った未来を投影していく希望のアズボを手放せない。反逆してチェーンで殴り傷だらけのモンスターのようにされても、デニスを手放そうとしないゴグと同じ。手放したら確実に誰かが持ち去る。かわいすぎるから。だからよけいに執着してしまう。
ケヴは父親からアズボをかっさらい引きずっていき押さえつける。


中年男が少年襲ってるようにしか見えない絵。これ、ケヴ、機能が残ってたら、絶対怒りでアズボ犯してるよと心底思う。

アズボは「やれよ(殺してくれ)」と無抵抗で言うけど、ケヴが傷つけたりしないと知ってる。
結局ジャマも入り出動発令も有り、続きはまた後でになるけど、ケヴはアズボを目の届くところに置く。 職務上、不安定な部下の安全確保なのだけど、少年を絶対に失いたくないのだ。
九死に一生を得たかのようなアズボはぴったりケヴについて加勢しているけども、償いとばかりにケヴ恋人トリッシュ救出に炎の中に飛び込む。この後のケヴの呆然ぶり。大将しっかりしないと!
自分の恋人の救助に向かっても、アズボの保護はせずにいられないケヴ。アズボは命で償うことも許されないのだけど・・・。

ケヴが最後に下した決断はゴグを火の中に残して殺し、アズボを解放、大火のことは忘れることだった。そう、アズボが子をなし実りある人生を送れば、ケヴは自分はなくしてしまったそれらを一緒に追体験できるのだ。でもアズボにはその終結は受け入れられなかった。

アズボはゴグに罪を認めさせ、付き合って一緒に落ちる覚悟もしていた。ケヴはひたすらアズボに希望ある人生を歩ませたかった。ケヴはアズボを解放したけど、殺人者になった。それは一種の正義ではあったけど、殺人犯の父親と、自分も赤ん坊の死に責任を感じて苦しんできたアズボには、加担できない行為だった。ゴグは悪党ではあったけど、アズボはゴグの事情も熟知、愛してもいた。殺したい相手ではない。ケヴは誤算でボタンをかけ間違えた。 ここでアズボにとってなりたい姿であったはずのケヴは堕ちたのである。
この瞬間、自分の罪に向き合おうとして成長していたアズボははっきりとNoも言えるようになっていた。ケヴを責め、ともに歩もうとするケヴを拒否して立ち去るのだ。

ケヴはアズボとの関わりに囚われ、平静心を欠いていたとしか言えない。例えばゴグの死を幼い彼の妹がどう受けるかくらいは、少なくとも正常であれば熱血ケヴは思いやれたはずだ。なのにケヴはすでにアズボを守ることが優先となりゴグを殺す。ゴグを生かして追求すればどうやってもアズボも巻き込むことになるから。(←ケヴのゴグ悪事のフラッシュバックの中にアズボがケヴ覗き込んで「あんたの望みは何?」が入ってるのが証拠。ケヴはアズボが頭にあった)

ケヴが大火のトラウマに苦しみ、少年に癒しを見出だし、少年の境遇に振り回され惑わされている間に、皮肉にも少年は成長し、自分の意思を持った。それはケヴの望んだことではあったけれど、向かう方向は別になってしまったのだ。

真っ赤な半泣き顔でアズボを呼ぶケヴとロリータの最初の放心状態で車を運転するハンバート先生はどこか似てる。どちらも衝動殺人のあと。

ロリータは変態オジサンへの嫌悪感しかなかったが、ケヴはとても気の毒に思う。 ロリータのハンバート先生は自分から少女を奪った相手を嫉妬から殺害したが、ケヴは少年を苦しめているものから解放するために人を殺した。ハンバート先生は母を亡くした拠り所のない少女を性的に搾取した身勝手な中年男だけど、ケヴは一切少年には手だししていない。(不能でなければやったのかもしれないが)ひたすら無償の愛情を注ぎ、保護しつづけた。なのでケヴのやったことは責める気になれない。ケヴは自分の優位な立場を利用して少年を搾取したり一切しなかった。

ここは少年版ロリータとはいえ少女版とは大きな違いがあり、惑わされたケヴにものすごく同情する。ケヴはいい人すぎる。純粋に悲恋物語だ。 


暗い目をしていた少年はこんなにきれいになったし、真っ当な道を歩ける。ケヴは全身全霊で少年に尽くした。とても美しい話だと思う。

このケヴの少年への献身ぶり、盲愛ぶりって谷崎潤一郎の痴人の愛春琴抄に通じるものがある。

ケヴはそれでも自分から歩き去ったアズボの幸せを願っているだろう。

少年は飛び立ってしまい、ケヴが無くした人生への憧れと追体験はかなわなくなったけど、ケヴがトリッシュと末永く幸せに過ごしてほしいと心から祈る。
熱血ケヴは幸せになってしかるべき人だ。

※上述のファンフィク見たら今年に入ってからめっちゃくちゃThe Smoke ファンフィク増えてます。英語のものも・・・何故ギリシャ語(なのだろうか?キリル文字)いまだに圧倒的なのだろう??。私は個人的にファンフィクはピンキリなので、あんま時間費やしたくないけど、何が何でも飢えてる方はどうぞ。これだけあれば…露骨なのもあるのでは?



The Smoke 関連記事はこちら

2016年2月18日木曜日

キングスマン続編 ガラハッド復活案が一旦ボツに!?


誰かウソだと言ってぇぇぇー! 

今朝、久しぶりにキングスマン続編情報が上がってきました。まず目に飛び込んできたのはジュリアン・ムーアが悪役として打診されているというニュース。 おっ!シングルマン、デカダンスコンビの復活!?
 

今度の悪役は美魔女なのね? やっだ~!トランスフォーメーション癖のついたタロン君ったら、お姉さん役をやりたかったの? やりすぎよぉ~~くらいに能天気なことを考えておりました。まぁ、この件に関しては
前回ヴァレンタインxガゼルというコンビだったので、悪役側でお姉さんに若いペットがお供としているという話もアリかもしれません。

ですが、読み漁るうちにショックな事実が判明…!

その前に!
私がキングスマン2に望むこと、must ! と思う最重要ポイントを挙げたいっ。

1. マシュー・ヴォーンが監督を務めること。
2. キングスマンの象徴ともいえるコリンの出演。
3. キングスマン生存コアメンバーの再登場。

これらが最重要であり、ここさえ死守してもらえば、後日譚か前日譚か、UKローカルかインターナショナルかなど、たいした大問題ではない。

マーク・ミラーだって、マシューがやらずして誰がやるといい、コリンあってこそのキングスマンとまで言っていたのに・・・>.<

記事の端々からマシュー・ヴォーン監督がメガフォンとるのはとりあえず確定とみてよさそう。私としてはconfirmedの言葉をFOXあたりから聞きたいところだが、この点に関してはヨシとできそうな案配。かなり断定的にそれを前提とした記事ばかり。

ただし前回のタロン君発言で危惧した通り、撮影は5月からとなっていた。やっぱり…遅れたか!
そしてconfirmed 一個見つけた!のですが、これは元ニュースのハリウッドレポーターでなくどこぞの二次記事。誰が保証してくれるのよと各種記事を比較して判明したことはなんと! 
マシュー・ヴォーン監督とジェイン女史が脚本を書き、せっせと練り上げていたガラハッド復活案はやはりうまくいかないので、とりあえずボツになった・・・ことがTHR(The Hollywood Reporter?)
にconfirm された のです。なのでそういうニュースが今後出ない限りコリン出演は現段階ではない…ということ。

これは…ショックすぎる!!!!!!

いや、現時点ではってことなので、ひょうたんから駒なんてこともひょっとしたらあるかもしれないけど…この数か月間、監督とジェイン女史で練ってきた企画がやっぱムリアルネで没になったのだから、状況はキビシイとしか思えない。

そ、そんなぁ・・・いまさらひどいわっ。

ジュリアン・ムーアの悪役候補もまだ確定ではなく交渉中。彼女も忙しいのがネックと言われてます。
これすらも実現あやしい?

う~~~ん、5月からといわれる撮影がさらに遅れる可能性もアリ? 最初と同様に公開日まで後ろ倒しの可能性大アリじゃん。すると『安定の遅さ』を誇る日本公開はホントに3年後にだってなりかねない…!

まずはジュリアン姉さまを巻き込んで欲しい! そしてコリンと一緒にシングルマンの60年代初頭のデカダンスコンビを現代美として復活もさせる。これいいと思いません?
何もパロディるのは、スパイものだけじゃなくっていいでしょ。(あ、すでに大逆転があったか!)そして美魔女ジュリアン姉さまに若い美形のツバメをつける。(←姉さまはBig Bad 候補なのでガゼル相当のLittle Badはいるのでしょう)
なんならシングルマンの面々みな拝借してもよいのでは?ニコラス・ホルトやマシュー・グードも登場させるの。 そうよ!次の挑戦はトム・フォードの世界。あの60年代のノスタルジックに耽美的な美しい映像に現代バージョンとして挑戦してくださいな、ヴォーン監督!あの超絶的な映像美にアクションが加わればもう怖いものナシ!  (コスチュームはどのみちアリアン・フィリップ女史よね?)

とどまらぬ我が妄想…さすがに実世界から乖離してきたのは・・・感じるわっ。
もう、公式なプレスリリースを待つしかないのですね!嗚呼・・・!

このデカダンスと様式美をもう一度!




2016年2月16日火曜日

NCIS S13にて300話突破!マッカラムさんインタビュー再び

先週、NCISがめでたく300話を突破したと祝宴を上げておられたマッカラムさん。
300個のカップケーキを何人で召し上がったかは知りませんが、一人で食べさせられなくってよかった~とご自身のFBサイトで笑いをとっておられました。

ちまちま書いてあるのはエピタイトル?
そしてもう一つの写真ですが↓・・・82歳にしてブルージーンズ??これがばっちり決まってます。
この遠景写真見て誰が82歳のおじいちゃまだなどと思うでしょうか!? せいぜい60歳くらいまですよ。驚異的です。


もう一月ほどの間、マッカラムさんのインタヴュー概略やる・・・と言い続けてオオカミ少年状態。そして本は無事に届いたけどまだ手付かず状態。(ハードカバー持ち歩けません。ってか東京の通勤ラッシュ、気合入れてもこのサイズの本を広げるスペースなぞないのです)
その間に本の発売とともにさらに新しいインタビューが登場。まぁ、ある程度どれも似たり寄ったりなので、現時点で直近らしいものをご紹介。
98.3Tryというラジオインタビューです。でもこれインタビュアーのほうが良くしゃべってるのよねー。(ため息)


ご挨拶系とにぎやかなアメリカ人のお姉さんジェイミーさんのとこは特に省略ね。(最初の45秒ほどね)何しろ元(そして今も)イリヤファンのお姉さん。興奮されすぎていて・・・>.<

******
Q: NCISのことも聞きたいけど、まず本のことから聞きます。Once a Crooked Manという素晴らしい本を出版されましたが、何故『今』本を書く決心をしたのですか?
A: 今決心したのではなく、書くことを学ぼうと思ったのは15年くらい前だよ。昔はよく本を読んだし特に朗読テープもよく聞いたからね。ジャックヒギンズのを見て僕もやれるかも…と思ってうちに帰って絶対できると思って始めて見た。でも最初のはひどい出来だった。ただ、僕は100万ドル入りスーツケースを受け取った俳優の話を書こうと思ったんだ。そのまま書いては捨て、引き出しにしまいっぱなしだったり。 あとはもう、紙の上に書き落とす練習と学習の繰り返し。それをまとめて出したんだけど、ひと月でもう、第3版まで出たって昨日聞いた。

Q: サスペンスでエキサイティングでミステリーで面白い本ですが、同時にこの本はとても笑わせくれるのですけど。
A: 僕の執筆スタイルがでてるかもね(笑)。僕は昔イギリスにいたころの英語の先生に感謝しなきゃね。子供のころ彼のおかげで随分と本も読んだし、書くことも覚えた。そこから・・・なんとなく僕はコメディとか記事調のスタイルで書くようになったんだ。これは意識したものでなく、読んで書いてしているうちに自然に身についていったものだ。それが発展して出来上がったもの。なかなかいいだろう?

Q: 本もですが、NCISだとかいろいろ何か新しいことを始めて行って、それでかつとても成功されてますよね。そこがスゴイ。
A: NCISは僕のもう一つの職業だけど、300話目の撮影をしてるところで、ちょうどお祝いしているところなんだ。皆でわいわい楽しいよ。人生は素晴らしいよね。

Q: 15年前から書き始めたとのことですが、あなたはとても忙しい方ですよね。NCISにも出てる大スターだし。撮影が終わって家に帰ってから書くのですか?それとも仕事合間に?どうやって?
A: 両方とも、時間さえあればいつでもだよ。 テレビにレギュラー出演ってことは結構待ち時間も長い。その待ち時間を何につかうかを学習するのも役者の仕事みたいなもの。8日間撮影があるけど23分のためだったりもする。例えば一日につき7分を書くことに費やすとする。ラップトップは素晴らしいよね。マジックだよ。どこでも持ち運べるし。勉強にも使えるしそこでも書くこともできる。

Q: NCISは年々大きくなっていく感じですよね。もうとどまるとこ知らず。人気がうなぎ上りの秘訣は?どうしてだろう?
A: プロデューサーの手腕だよね。ドン・バリサリオ氏のもともとのアイデアは皆で一斉に船に乗って航海に出るような感じ。ちょっと問題を抱えたエージェントとしてチャーミングなキャラを模索した。彼は魅力的な人を一堂に集めてどんなキャラがいいか観察して、そしてチャーミングな『才能』に巡り合って、相性もぴったり。そこから13年の間に300話もの個別の話を作り上げるんだからびっくりだよね。

Q:トニー・ディノッゾ役のマイケル・ウェザリーが降板しますよね。一番最初からのオリジナルメンバーが消えるのは大変ではないですか。
A: 皆にとって大事件だよ。プロデューサーにとってもね。でも彼は彼にとってベストの道を行くべきだし。でもある意味、脚本家にとっては全く新しいこともやれる素晴らしいチャンスだよ…と僕は言ったんだ。本能的にそう思った。トニーがいなくなることでできるギャップをいかに埋めるか。これはチャンスだよ。
*******

ジェイミーお姉さん、マッカラムさんをほめちぎりまくります。インタビューが進んでいくにつれ、質問ではなくうるさいほどの絶賛の言葉のオンパレード。

『NCISの今後については心配なんてしてないわ。あのドラマは素晴らしいし。本も素晴らしいし、セレブでいろいろなことをやってそのすべてで成功しているなんて凄すぎる! 
あなたはなんでもできて素晴らしくってあなたみたいになりたいわ! 昔イリヤクリヤキンに出会ってひとめぼれ、それからずっとあなたのファン!今でも素敵!MFUは何度も何度も見ているの!!本もものすごく面白いからみんなに読めっていうわ!!』

・・・と身振り手振りは目に浮かび、ジェスチャーで揺れる体の振動まで感じられそうな大仰な褒め言葉は留まるところを知らない・・・・!!

・・・・お気持ちはわかるけど、もっとマッカラムさんに話してもらってよー!姉さんしゃべりすぎだよーーーと思いました。「デヴィッド、聞いて!」はないだろー!だって7分強のインタビューのうちお姉さんのほうが話した時間絶対長いぞー!アメイジングだファンタスティックだと形容詞ばかり続くお姉さんの感想のほうが多いーーーー! 

それはともかく2週間ほど前に、これ概略しようかと思った別のラジオインタビューで発売後2週間で第二版が刷られたっていってたのに、もう第三版まで出たってのがスゴイです・・・・。
そうそう、その第2版云々のCBSのインタビューではNCISテレビで見てね!僕も一緒に見てるから…と言っておられました。毎週見てるのか、たまたまその州だけなのか、マッカラムさんと同時にNCISを見る時間を共有する・・なんて特権(って大げさ?)が可能なのは米国にてTVで火曜夜8時に見ている方のみです。

初版は長年のマッカラムファンがサイン欲しさに予約したのもプラスされたかもしれないけど、その後はまさしく本自身の、そして作家としてもマッカラムさんの評価ですね。 素晴らしいわ!
私も読むぞーーー!


追記: 2016.02.19
この後、今週に収録されたBBC5の40分程のインタビューがMP3ファイルでダウンロードできるそうです。
私も家帰ったらPCでやってみます。
早くiPhone変えたいわ…>_<…
そしてマッカラムさんの本UKカバーはホントにベツもの。ジョアナ・ラムリーのメッセージ付きです。
中身は一緒よね? なんでそのまま販売しないのでしょうね? 英国のプライド?(笑)




2016年2月14日日曜日

The Smoke における不思議なエロティシズムとLegend のそれを比較してみる。①

The Smoke へ私のはまりっぷりが尋常ではないのは拙宅に立ち寄られ、The Smoke
関連記事を見られたら明らかかと思います。

そう、私はキングスマン観て、このコいい役者になりそうだなーと最初の出会いからほぼ1年以上スルーしていたタロン・エジャトン(Taron Egerton)に興味を持ち、インタビュー類のある種天然さ、賢いけど無防備な受け答えに非常に興味を持ち、その他出演作が全く入手できない憂さから、たいして出てないんだろうけど・・・The Smokeを買ったの。 そして、これですっかりとどめを刺されました。
泣く子と地頭じゃないけど、この大粒の涙に勝てるヤツいないと思う。

本筋ストーリーもきっちり美しく感動的ではあるのだけれど、ウラ的に何気にエロティック。 これが、やはり半端じゃない庇護欲をそそる少年を演じきっているタロン君のさせる技としか思えない。もともと折り込み済みの演出だったのか、思ったより演技派だったタロン君により想定外の効果を生んでしまったのか、どっちなのだろう?

そんはずないと頭では理解しているはずだが、感覚のほうが真っ向からそれを否定する。中年男と少年のはかない悲恋物語に見えてしまう不思議な感触。
ちなみに…このThe Smokeにおいて、魔性の少年アズボをチカラいっぱいかわいがり、保護して守る上司ケヴが惑わされて、少年に手を出すという展開はこのドラマではまったくあり得ない。というか不可能な、そんなこと絶対できない設定になっている。

ケヴは労災で大火に下半身焼かれ、男性機能を失っている。結婚するつもりだった長年のGFとも
それが原因ですったもんだもする。なので、まず少年に手を出すのも不可能。誰にとっても一番安全なオオカミなのである。(たぶんね)

そのうえ実はその大火の放火犯の片割れが、新しく部下となった少年なので、ケヴが犯人を見つけ出すと息巻き、その特徴として語られるドラゴンタトゥーが少年の臀部にはある。なので、少年のほうが色仕掛けをと思っても、自ら秘密にしている放火犯であることを暴露する羽目になるので、ケヴの前で裸体をさらすことなぞできず、服を脱ぐことはない。いや、少年が意を決して身を投げ出したとしても、ケヴが大火の恐怖とトラウマとセットになっているドラゴンタトゥーを目にして色っぽい話になるのはキビシイ。 そして少年だって、巻き込まれただけとはいえ、自分のせいで不俱になった男の傷だらけの体を見て先に進めるとは思えない。
プラトニック以上になど、どうやってもなりようがないふたりなのだ。
過去の男は想い出に変える

なので、この話に於いて、冷静に考えると絶対あり得ないのだけど、ケヴはアズボに惑わされ、最後には人殺しまでしたのに、あっさり捨てられた気の毒な男・・・のように見えてしまうのはなぜ?
そしてアズボはまさしく、『愛した男たちを想い出に変えて♪』(セーラー服と機関銃の一節)次に飛び立っていく感じだ。
飛翔の瞬間
EP1とまったく顔が違う





The Smoke(日本放映しようよー)はロコツにゲイだ云々言い放つレジェンド狂気の美学…よりはるかにそちらを匂わせてる感が高い。それはとりあえず私の主観に置いて…なのだけど。

などということを取り留めもなく思っていたら、過日、こんなブログに遭遇した。英文学者の大橋洋一氏がコードネームU.N.C.L.E.をゲイを示唆している云々。
今更だけど、こいうことを書くのもはまるのも大多数が女性である。スラッシャーも腐女子、貴腐人という言葉が象徴するように、たいていは女性だと思っていたのでちょっと意外に思った。まぁ、正統な大学教授の大橋先生が強調しなくても、コードネームアンクルに関しては、新ソロも新イリヤもしっかり腐女子の方々のターゲットとなりおかずにされているので、ご心配なく、多くの人がそう思ってます…と申し上げたいくらいなのだけど、面白いと思ったのはゲイ文学が専攻でもある大橋先生の上げる映画に於いてゲイを示唆している証拠となるもの。

1. トイレ (放尿して)性器に触れていれば確実度がより高いらしい。
2. 水

なのだそうだ。コードネームアンクルにおいては男性トイレが2度も登場。且つボートシーンの後、ソロは海に飛び込みイリヤを助けているのでもう明らかなのだそうだ。加えてこの水のシーンはヒロシおテーマだけど、原曲は失恋の歌ならしい。大橋先生は『これでゲイでないというならおじさん/おじいさんは怒るぞ』とまで言われている。こちらも是非一読していただきたい。

ふーーーーーーーーーーん。 

コードネームアンクルはすでにスラッシャーの対象内なので、異議申立より同意する人のほうが多いんじゃないかと思うが、とりあえず、私の偏愛的主観基準ではなく、ゲイ文学のプロである、この大橋先生の上げているゲイ暗示基準に沿って、The Smokeやレジェンドも検証してみようと思った。

それで・・・・大橋先生基準を当てはめると、純粋に労災のトラウマに苦しむベテラン消防士と暗い過去持つ少年の成長と飛翔の話の顔をしたこのドラマは、ゲイ示唆ポイント満載、ばっちりゲイ物語であるということになった。

先ずトイレ。(そして男性器関連) 
1. The Smokeで男性トイレがどれだけ出てきたか!ケヴはひとりになれるトイレでひそかにトラウマに苦しみ、すすり泣いていたりしていた。おまけに大将ケヴを探してウォッチの面々はしょっちゅうトイレにまで来ていたし、隙間からのぞいたりもしていた。

2. ケヴはお偉いさんも集まる表彰式で脱いで、傷だらけの下半身と機能を失った男性器もさらす。(これ日本放映あってもぼかしかなぁ? もちろん実物ではないはずだけど) 座布団3枚くらいのゲイ暗示? 

3. ケージファイト会場の男性トイレで酔っぱらいがケヴに便器で座って用を足せとからかい、キレたケヴはおっさんを頭突きして自らも流血していた。

4. ゴグも、最終エピで放尿した。デニス(アズボ)はそれを階上から見ていた。やはりゴグとデニスがヤったことあるとしか思えないのは正しいのね?

そして水。 
5. 驚くなかれ、タロン君はThe Smokeでも水に潜り、いじめる先輩マルに水の中で羽交い絞めにされもがいているのである。 ばっちり!?
6. これを水…に含めていいかどうかだけど、The Smokeでは仕事終了後の消防士の共同シャワーシーンも数回。男同士の裸の付き合い…とでも言わんばかりに。
7. この共同シャワーシーンでは一度も登場しないアズボ。でも単独シャワーシーンではフルヌード。キューピーボディとおしりのドラゴンタトゥーを披露。

その他ゲイを示唆してるもの
8. ケージファイト会場でゴグに声をかけるケヴは露骨に買春オヤジとしてあしらわれてたけど、これはトーゼン、ゲイ暗示としてカウントしてもよろしいですわよね、先生?

9. アズボの歓迎会にてアズボは目隠しに後ろでに手錠をかけられ、ドラッグクイーンにキスされていた。(この口紅のついたアズボは何気にお色気顔になる。)先輩たちの心づくしの歓待なのだけど・・・、ゲイ暗示?


余裕でコードネームアンクルなどはるかに上回るゲイ示唆度である。
つまり・・・私の目がオカシイわけではないのだ。
いまだにこの写真くらいしか流通してない?日本のウェブ

ではレジェンドは?  
こちらは大々的にゲイ云々公言している。 だけど大橋先生のゲイ暗示基準に当たるものは少ない…というかないに等しい。男性トイレは一度も登場しない。ただし、ゲイの宴シーンはあり、そのものはほんの5分もない、名士たちの乱交パーティだ。これも暗示どころかずばりではあるけどあまり色気が感じられないの。

水…雨の中でずぶぬれになるのはレジーとフランシス。これはちゃいますね。

この示唆度評価ポイントで数えると、プロパーでゲイの話のはずのレジェンドに拍子抜け、The Smokeのほうが萌え度は高くなるのは当然だったのか。大橋先生にはぜひともThe Smokeをご視聴いただき感想などもうかがいたいものです。

ついでなので、キングスマンも検証。
1. トイレ - キングスマン候補生寮は室内にオープントイレ。水責め最初のタスクの就寝前に一人の少年が用を足してベッドに行った。
2. 水 撮影に9日間かかったという、水攻めシーンを忘れる人はいない。
3. その他ゲイを示唆しているもの・・・義父手下のプ-ドルがハリーに「レントボーイがいるなら・・・」とハリーを買春ジジイ扱い。
<<2016 .02.21="">> もっと重要なのを失念していたことに気づきました!
4. ハリーは教会で自分は黒人のユダヤ教徒のBFと不倫中だと言った。

コードネームアンクルと同様、3点。なのでコードネームアンクルより1ポイント高い!
ちなみにコードネームアンクルでゲイそのものを指してるているものはなかったけど(大橋先生はパーティのトイレのバカちゃん共がおホモだちだと言ってらしたが、私の記憶ではそういう認識はない)こっちはずばり2件。このカテゴリーではそらぞらしい顔をしたThe Smokeと同じ。<<追記終>>

なるほどーーーー。
ハリーがエグジーに手だしてたらゲンメツ…なんて言ってる場合ではなかったのですね。
すごい勉強になった気がする。

新たなる発見にここで一旦〆ることにする。アタクシの主観の話はまた別途。つまりエロティシズム論をのちほどにします。

あ、ところでBAFTAの結果が出るのは何時なのだろう? むかーし、偶然、開場前の人だかりに遭遇してヒューグラントやジョン・トラボルタにお目に掛かれたけど、昼過ぎだった気がする。

そうすると発表は日本時間じゃよくて今日の夜中か明日早朝・・・かしらん。
私的にはそりゃタロン君にあげずしてどうする???くらいな気分なのだけど。


2016.02.15 朝 追記
タロン君残念だった~~~BAFTA!
やっぱ、映画のタイミングも大きいのか? だからSWは滑り込みしたのねー!
去年の公開直後(ほぼ1-2か月後)のエンパイア賞はとったもんなぁ・・・。規模がぜんっぜん違うからなぁ。。。。><。。。 当初の予定通り2014年10月で公開してたら、2015年で絶対とったてただろうにね。

それにしても…今や追っかけさんの数がスゴイ! 去年エンパイア賞のことなんて報道すらされてなかったものねぇ・・・。

『レジェンド 狂気の美学』 関連記事はこちら


The Smoke 関連記事はこちら








2016年2月10日水曜日

Testament of Youth 戦場からのラブレター なぜ今更? 英国も実は不寛容のLGBT?


アリシアちゃん主演の戦場からのラヴレター、Testament of Youthがとても素晴らしかったので、原作本、手紙本(まだ途中)と読んでみました。アリシアちゃんの熱演は人をそこまで突き動かすだけのパワーがありました。これらの本、邦訳出てたら一時的にでもベストセラーになったのではと思われます。 ですが・・・、劇場公開もすっ飛ばされた映画の原作本の邦訳が今更出ることってあるのかしらん。・・・ないでしょうねぇ。
原作本到着を待っている間にもちろんネット検索にも励みウェブ上の情報も読み漁っておりました。
そして…多いに疑問がわいたのです。


何故、今更、ヴェラ・ブリティンが弟エドワードの性癖を知っていたか否かや、そのことを一切Testament of Youthに書いていないことを責めるかのような調子の記事も多いのか・・・? 
数点見かけた記事はスキャンダル暴露の様相。概して内容は以下の2点。

1. ヴェラの弟エドワードは同性愛者であり当時は犯罪者であった。
2. ヴェラは弟の同性愛嗜好を隠蔽して、実は犯罪者の弟を戦争の悲劇の英雄であるかのような本を書いた。

1. 単に事実であるが、この暴露記事の大半はすべて近年のものである。BBCでルパート・グレイプスがやったドラマが出たあたり(1998年?)と特に映画が出た2014年のものばかり。歴史家マーク・ボストリッジの研究が元であり、ボストリッジが親族であるシャーリー・ウィリアムズ女史の許可が出て出版の運びとなった手紙本(Letters from a Lost Generation)が出たのが1998年。 第一次大戦中に国王から十字勲章受けた将校が密かに同性愛者だったことが、そこまでのスキャンダルなのか? あっても不思議ではない話…くらいにしか私は思わないのだけど?

2. この批判は的外れとしか思えない。

ヴェラがエドワード宛に書いた特定の手紙の一部を抜粋して、ヴェラは知っていたのに、そのことに触れず、弟を英雄に仕立て上げたとの非難記事。

その手紙の抜粋されている部分の概略はこんなの。
「あなたにとって人間は性(ジェンダー)でなく、能力や本質の方が大事なのよ。あなたはまだ若いし、何年かたてば、結婚したいと思う人だって現れるわよ」

私が入手したのはこの2冊のみ
エドワードがたった22歳で世を去ったことを思えば、何の不思議もない若い姉からさらに年下の弟への手紙。これで同性愛者であることを隠蔽した証拠になるほどのものなのか?
ちなみにこの手紙のやり取りの経緯も原作本にはある。

エドワードはパブリックスクールボーイで士官学校出のエリート。なので若くとも戦地では兵卒を率いる将校で、自分の部隊の兵士たちのこまごまとしたことも上官として世話をやかなければならない。エドワードはある日、自分の部下のまだ若い少年兵に実は子供がいて、恋人から養育費云々言われていることの相談を受けた。若い部下は相手と結婚する気はあるけど、両親にそのことを言い出せない。そこで上官のエドワードが一役買って彼の両親へ手紙を書くことになる。
エドワードはそのあまりありがたくない役回りに時間を取られることの愚痴と、自分は今まで会った女性の大半に好感を持てず、将来自分が結婚するとかなんて想像できない、何か育てられ方でも間違ってたのだろうか…といった旨の手紙をヴェラあてに書きつづっており、↑はそれに対してのヴェラの返信。そして上述の部分の前にはヴェラからの『大半の人間は異性であるってことだけで女性に惹かれているだけ。』があり、合間には『(エドワード同様に人の本質を見るのは)私も同じ』『本質で見るなら決して賢くもない女の子に好きな人がいなくても不思議はない。』とその当時女だてらに大学進学した気の強いヴェラが普通の女性を下に見ている様子も伺える。

ヴェラはエドワード戦死後にもローランドの時と同じように、当事者を訪ね、その最後を尋ねたらしい。ですが当時エドワードの上官は死の前日に起こったことと自分の推察をヴェラに伝えなかった。それは遺族への配慮だったのでしょう。 この上官がヴェラに「実は・・」と本当のことを伝えにきたのはヴェラがこのTestament of Youthを出版したあとのこと。
ヴェラが本を出したので、その時には語らなかった事実を10年以上もたってからわざわざ伝えにやってきたのです。
つまりヴェラは原作本を書いた時点で、エドワードが軍法会議にかけられる予定だったことなど明らかに知りようはないはず。
エドワードは戦死する前年に国王ジョージ6世から赤十字勲章を授かり、ブリティン家だって当然それは誇りに思っていたことでしょう。そしてこれは戦地での彼の軍功の賜物以外の何物でもないはず。ですが、それってもし彼が軍法会議にかけられて有罪になっていたら取り消し、剥奪されるようなものだったの? 彼が国のために行った功績は同じなのに? 
2009年にアラン・チューリング(昨年公開されたイミテーション・ゲームの主人公)の同性愛禁止違反扱いを政府が謝罪したことを思えば、そんなことをしていた暁には政府が遺族に訴えられかねないでしょう。 なのになぜ、今どきスキャンダル扱いなのか?

私は手紙本を編集して出した歴史家、そしてヴェラ・ブリティン研究家のマーク・ボートリッジをとても不快に思う。この人は映画のコンサルタントにもなっている方だけど、手紙本が出版されたのが1998年。 
ヴェラがTestament 出版後の1934年、エドワードの元上官が訪ねてきて真実を告げたとは言われているものの、ヴェラとその上官がどのような話をしたのかはどこにも記録がないらしい。
ヴェラの父ブリティン氏はその後の1935年、入水自殺し、ヴェラがフィクション小説ということで戦時中に自分が同性愛者であることを明るみに出すよりは黙して名誉の死を選んだ将校の話(
Honourable Estate)を書いたのが1936年。
1960年生まれのオクスフォード出の歴史家マーク・ボストリッジはエドワードの元上官の息子を見つけ、その息子に父親の遺品の日記類を見せてもらい、それらの記録によると、エドワードは手紙が検閲に開けられた結果、彼が同クラスの将校とだけでなく、自分の部隊の下層クラスの兵士複数ともそっちの関係を持ったことが明らかであり、(それってパワハラ? にしてもいったいどんな手紙よ?戦火の中そんな暇あるの?)エドワードは軍法会議にかけられる予定であった。
なんでもヴェラの娘、シャーリー・ウイリアムズからジェフリーがエドワードに送った手紙類を含めて出版する許可がヴェラの死後10年以上もでなかったそうで、その理由はジェフリーがエドワードに送った手紙により彼らの関係が明らかになるから…ならしい。そういった話を映画の公開とともに自分の写真入りで新聞掲載してるボストリッジ氏。

ちなみに・・・、私が映画で感動したエドワードがヴェラに送った手紙数点は原作本にちゃんとありました。 
映画用に多少追加部分もアリのようだけど、基本的には実在しました。
この最後のパラグラフが好き

それで、ジェフリーの手紙は? 
ヴェラが死体扱いされたエドワードを見つけだして介抱したくだりは映画のフィクション部分。なので、エドワードがヴェラにジェフリーからの手紙を「聞いて」と読む部分もフィクション。であればあの手紙もフィクションの可能性はアリ・・・。
映画ではジェフリーの登場は少ない。けど原作本ではヴェラ自身がかなりのまめにジェフリーと手紙のやり取りをしているのです。ローランドの死後、ヴェラを励ましたのはジェフリーとヴィクターの二人。ジェフリーはヴェラをコンサートに連れて行ったりもしていて、ヴェラ自身のジェフリーへの評価がとても高いの。容姿の美しさやその人柄に対しての。

ジェフリー戦死の知らせはヴェラはエドワードから電報で知らされます。ジェフリーの上官はエドワードがジェフリーと親しかったため、わざわざ自分でエドワード宛てに手紙を書いています。その手紙は原作本、手紙本の両方に掲載。
で、結局、10年以上たって許可も出たはずの手紙本のどこに明らかな手紙があるの・・・?かわからない。ジェフリーのエドワード宛ての手紙は確かに長いし親しげ(そしてイマドキの感覚には古風に思える)。とはいえどう見てもそのものずばり関係を語ってると思えるのはない。(ってまだ全部熟読まではしていないけど、私が見た限り)。映画のあの美しい手紙が一番、あー、そうなんだ…と察せるレベル、あの手紙以上に、あーヤッパリなるほど…と思えるものってないのです。
そしてこれに関してエドワードを演じたタロン君自身がエドワードについて「原作本も読んだけど、新聞でスキャンダル記事がでていたを読んだ。エドワードはホモだということを映画はやんわりと匂わすように描いていた。」そして「ケント監督に言われヴェラと双子のような弟を演じた。」とインタビューで話してます。つまり、やはり原作本にはこれがそうだ!なんてものはないのです。

昔の人が恋人同士であからさまな性描写の手紙をやり取りしたとは、ストレートの方でもそうそうあるとは思えず、そういった意味では彼らがそういう関係でもそれが露骨に手紙に書かれて残っている…とはそもそも考えにくいと思う。もしかしたら、ボストリッジ氏の意図を不快に思った遺族が提供したくないと(残っていたこれだけの手紙を一枚一枚赤の他人に当たる娘が読んだとも考えにくい。残っていても大事に保管しておくくらいでしょう)渋ったのは事実なのかもしれませんが。

英国って今は同性婚も合法なのに暴露記事のようあと少しで100年前になる昔の人の話がでるのか?…それだけでかなり不可解。その昔の基準では犯罪だったから? この暴露記事もどきが派手に出ているのは映画公開前の2014年。同性愛禁止法に反したというアラン・チューリングへの扱いが不当だったと署名運動がおこり、政府が謝意を表したのが2009年。そのような流れの中でなぜスキャンダル扱いなのかさらに理解できない。

実は英国はBGLTに対してかなり不寛容なのだろうか?

もう一つ思うのは、反戦運動家として作家として名を挙げたヴェラと名士である娘を貶めるための恣意的なものに思えること。名声を得た女性へのやっかみと風当たりなのか…? 出る釘のごとく、女だてらに名を挙げたヴェラやウィリアムズ女史を叩き、貶めるのが目的? 日本のテレビでならいくらでもありそうな低レベルなゴシップの様相だけれど。

ヴェラは弟が同性愛者だということに、ショックを受けたかどうか、おそらく彼女の解釈では「弟は性(ジェンダー)でなく人間本質を見る高尚な人だったから」であり、その彼が時代の中で選択せざるを得なかった人生を肯定してフィクション小説(私は未読)を書いたのだろうと思われます。

当時の基準では半端じゃなく気も強く、キョーレツな女性だったらしいヴェラ*自身が一般的な女性を下に見ているところがあるため、(原作本の記述で明らか。ただイマドキでもそんな女の子ごまんといるでしょう。自称、しっかりしていて男友達の方がいいという女嫌いの女の子なぞ)弟が女性に興味がなくとも、即、同性愛を疑うよりは、そりゃそうよね、あんな幼稚な生き物…くらいに納得していたと考える方が妥当としか思えません。

彼女にしてみれば弟が自ら死を選ぶまでの心情を思う方がつらかっただろうことは想像に難くない。

そしてフツーに他者を思いやる配慮のある人であれば、その彼女の辛さを思うだけで身が切られそうな気持になると思うのですが・・・。

また、この事実はヴェラがTestamentを出版しさえしなければ、表に出なかった事実。エドワード元上官も本が出なければ黙したままに終わり、ヴェラもブリティン氏もエドワードの真実など知ることはなかった。そして、ブリティン氏も自死することもなかった。この事実にヴェラが気づかないわけはなく、そのことも自責したのではと思うと・・・やりきれなさを感じてしまいます。(涙)
ブリティン氏は息子の嗜好を受け入れられずショックで自死してしまったけど、ヴェラはそれでも弟を肯定したくてただフィクション小説を書いたのでしょう。フィクションなのは…それはヴェラも全く想像でしか書いてない部分だったから。そしてそのフィクション小説があるからエドワードが同性愛者だというのは事実であった…と結論付けるくらいでしょう。スキャンダル記事への発展は理解不能。

このヴェラは弟の同性愛を隠ぺいして悲劇の英雄扱いして書いたとあげつらう人々の品性を私は疑う。 それが真実を追求しているとでも? 亡くなった人々の功労を貶めることに何の意義があるのか。

ヴェラは小説を書いて反戦活動を続けた。小説を書いたのは戦争の悲劇と反戦を訴えるため。ヴェラは正しいことをした。なのに、それが裏目に出て、弟の性癖暴露という名誉棄損に近い事態と父親の自死になってしまった。

ここで私はヴェロニカ・ゲリンを思い出した。ケイトブランシェット主演の映画にもなった話だけど、アイルランド、ダブリンで麻薬組織を撲滅するために尽力していた女性ジャーナリストがマフィアにさんざん脅迫されたものの屈服せず追求し続けたため殺害された話。彼女には夫もまだ幼児の息子もいたのに。彼女の死後、その死を無駄にするなと法改正までされ、麻薬組織は一掃され、ダブリンの治安は向上したのである。
ヴェロニカ・ゲリンは正しく素晴らしいことをした。けれど、そのために小さな男の子はママを亡くした。彼女が正義のために戦わなければ、夫と息子とともに幸せにその後何十年も生きていたかもしれない。夫と小さな息子はその方が幸せであっただろう。彼女はマフィアを追求し続けたことを後悔しただろうか。

ヴェラは婚約者と弟、親しい友人を戦争で失った。その犠牲を忘れず無駄にしないよう反戦活動をしたためにさらに家族(父)を失うことになった。弟の名誉も汚す扱いを受ける(死後?)ことになった。ヴェラは本を書き反戦活動をしたことを後悔しただろうか。

こういうどう見ても世のために正しいことをした人々がそのために何かを犠牲にしてしまった様子を見るのは忍びないと私は思う。心の中で密かにありがとう、皆のために…くらいのことは思う。その悲しい犠牲を尊いと思いこそすれ、揚げ足を取ってわざわざ貶めはしないだろう。

これらのスキャンダル記事をあげつらう人々はそのような感性を持たないのだろうか? 持たないし、その似非正義感に優越感すら覚えているのかもしれない。 私はマーク・ボストリッジが嫌いだ。 

彼の業績はエドワードが同性愛者であったことを白日にさらし、この戦場のラブレターにて、キングスマン効果で腐女子の注目を浴びるタロン君に初ゲイ役が当たり、腐女子の萌え心にさらに火をつけたことくらいである。それだけとしか思えない。
IMG

追記 2016.02.10. 07:00
ヴェラ役のアリシア・ヴィカンデルは過日SAG-AFTRA(映画俳優組合)の助演女優賞を受賞しました。The Danish Girl(リリーのすべて、3月日本公開予定)のGerda 役です。おめでとうございます!!

それに伴いロスでこの間の日曜、アリシアちゃん本人に会えるQ&Aイベントがあったそうで、アンクル仲間のお兄様お姉さまが参加されてきて、DVDにサインもらったりしていて沸いてました。

めちゃくちゃうらやましいですぅ~。





   


手前の帽子は今でもアンクル関係の製作には係る半世紀来の
ナポソロファンのお父さん
【どうでもいいことですがおまけ】
☆↑* のヴェラが強い女性であったことを書いていて思い出した。DVD特典のアリシアちゃんインタビューで彼女が「ベラにもしあっていたとしたら、すぐ好きになったと思うわ」と言ったということに字幕で書いてありましたが大いに違っています。アリシアちゃんは「ヴェラはとっても強い人で、もしその場にいて初めて会って好きになれるかどうかはわからないけど」と言っておりました。

☆ゲイスキャンダル記事のひとつで、ジェフリー演じたジョナサン・ベイリーの写真にTaron Egertonと記載しているアホなのがありました。コメント欄にクレームをつけている人がおり、私も当然、この記事どこまで正確なのかしらねという嫌味とともに便乗クレームを残しておきました。本日見たら、写真はエドワードとジェフリーの二人が一緒のものに変えられていました。こちらの記事。見てやってください。年明け1月初めごろはジェフリー写真のままだったのに。
ちなみにこの写真はタロン君、エドワード部分のみがフィーチャーされている形のものは皆知っている写真です。暗い顔したエドワードの隣に実はジェフリーがいたとは・・・!この発見に関してはこのゲイ暴露記事(?)はお手柄ですね。

Before
(Taron Egertonと書いてあった!)





After






☆ほかに私が読んだ記事
比較的妥当と思われるものはこちら

2016年2月5日金曜日

レジェンド 狂気の美学 やっと視聴 Legend - Sexually Aggressive...?

ずっと公開を待っていたLegendの邦題がめでたく決まりました。
日本公式FBにこれならあった!
と、そのちょっと前に予約で頼んでおいたUK版DVDの発送通知が届きやっと本体も到着。
今回12日もかかった~。なんでこんなに遅かったの?

ところで、この狂気の美学って一見よさげな言葉なのですが、いったい何なのか?
この【狂気】って言葉自体が名詞なのか美学にかかる【狂気の】という形容詞なのかよくわからないと単純に思い、映画を観たらどっちか納得するものなのかしら?…と思ってたけど・・・・・・・・

結論、ちょい気取りすぎなだけかと・・・・思います。

まぁそれはともかく感想。

やはり圧巻なのはトム・ハーディでした。タロン君めあてだと出番の少なさがちょっと寂しい。キングスマン効果で役柄出番以上に前注目を浴び過ぎた感じがあります。

トム・ハーディ、二役やることを自身で監督に掛け合ってゲットしてますがお気に入りはロニーの方、レジーだけだったら絶対やらなかった…とのことでしたが、私的にはレジーのほうが悲哀に満ちた重いキャラに見えました。 レジーは結局嫁フランシスと弟も天秤にかけるような感じ。嫁フランシスもそう。ロニーへのLoyalty(忠実)と自分へのLoyaltyはどうなのかとレジーに聞いたり。
ナレーターがフランシスで、フランシスの目を通して描いたような形になっているからか、双子実家にガラの悪い野郎どもがうろうろしてる中、はかなげなフランシスが入るのはかなり居心地も悪そうでかわいそう。 
そう、つまり、ギャングどもがクールで粋に描かれているというよりはガラの悪い連中…といった風情で、期待したよりは全体的にゴージャス感に欠けたかも。('47 テレビなのがわるいのか?)

時間の関係か双子のギクシャクは即始まるので、双子二人揃って一番クールなのは宣伝ポスターなのです。そしてゴージャス感は最初のトレーラーが選曲とともにベストかと。


一番の見どころがこのトムハの一人で不気味な絵図 - 双子の取っ組み合いのけんかもロニーのメガネがはずれると当然同じ顔、殴り合った後べったり同じ顔で抱き合っている双子はかなり不気味、本格ホラーだったクローネンバーグ戦慄の絆 ジェレミー・アイアンズに匹敵するくらい不気味な怖さ(賞賛よ!) - なのです。 双子母とロニーの嫁いびりも気色悪く、いかれロニーが調子が悪いとひ弱ぶり、母も同調してロニーをかばう。 ・・・・これがかなり気色悪く、それでも弟を捨てれないレジーが不憫に思えます。でもこの気色悪さがどこか快感でもあり肝なのかと。

どーっちだ?
そしてfragile(繊細、こわれやすい)とフランシスはそのはかなげなか細さは皆が認めるところではあったのですが、具合が悪いロニーが自分を同じくfragile(繊細)だというのも、嫁フランシスと張り合うかのようで不気味です。あの容貌で、俺を構ってくれよぉ…と言わんばかりで。
実際、いかれロニーはフランシスが出ていくときに彼女に言います。フランシスを好きだったと、フランシスもロニーと同様に将来を見る能力があるから…と。 この言葉の意味は謎ですが、ロニーはなぜか自分とフランシスを同レベルに見ており、ここでフランシスが出ていくことで、ロニーは勝利宣言でもしてるかのよう。敗者フランシスにまるでねぎらいの言葉をかけているような感じです。

穿った見方をすれば、双子のロニーが一番恋人に欲しかったのは片割れレジーだったのではないかと思えてしまいます。まぁ、噂レベルでは両方ともゲイだった、バイだったと諸説あり、その中では双子もできていたってこともあり?と思わないではありません。 でもなにが真説なのかは全くわかりません。

色々な意味でやはりトム・ハーディの一人二役の不気味な出来栄えが一番の功労ポイントです。

ところでかなり前にタロン君が言っていた過激な性描写あり…には相変わらず、すかされた気がしました。

うーん、ウェールズの地名言うだけで大変なのどかな村に育った少年の思うSexually Aggressiveと都会にしか住めないおばさんの思うソレがかけ離れ過ぎているだけなんだろうか。 ヴァーバル(言葉)だけでなくヴィジュアルにももっとあからさまなものかと思ってたのですが。

正直R18にするほどかと思いました。それともBGLTかかると全部R18指定にでもなるのでしょうか。

テディは殺されることなく…というか殺されるんだったら絶対タロン君配役されなさそう。
マシュー・ヴォーン監督の言ってた、「誰もがこのコが殺されたりするのを観たくないと思うような好感度のある」少年そのもので、何をやっても庇護欲をそそる天性の才能があるタロン君。 タロン君がテディとしてめったづきで殺されたりしてたら即PTAから大苦情は間違いなし、映倫、検閲でむごすぎる云々引っかかって公開の憂き目を見ない映画になってしまうことでしょう。出番は少ないのですが最後の最後まで生きてました。(ほっ)
おそらく似たような理由で絨毯たたきでお尻ぺんぺんされていたのは、テディでなく、レスリーだったのではないかと思います。タロン君じゃPTA苦情が来そうです。

ということでタロン君自身は、なんも実際にはしてないのです、残念ながら(?) これなら、The Smokeのキューピーヌードのうしろめたい卑猥感、意味深なタトゥーにアズボの男衆関係のほうがよほどセクシュアル度が高いのではと思いました。

まぁ、その関係で驚きだったのがテディは双子ママも公認のところ。ママがテディに「ロニーと一緒に寝てく?」「うん、ありがとう」といくらロニーが調子悪く子供返りしてるにしても、成人のええ年した息子にさらっとお稚児さんあてがう母の寛容さ。まさか純粋にこの子達仲良しだし・・・でもないでしょう。チェズパパにも負けないくらい目が点になりました。
母は偉大なり。まぁお稚児テディが一番慰めになり、回復に効くからなのでしょう。
その後レジーが、ロニーのシャツ脱がせたら全部燃やしとけと言いつけるところは、おいおい…となります。 
このやーさん、こんなかわいらしい少年(テディ)に何させてるんだと・・・。そこが一番卑猥感漂うくらいです。

いや映画としてはちゃんと面白いし、トム・ハーディは素晴らしい。タロン君だって非常にチャーミングに、かわいい顔して荒仕事もこなすお稚児さんを熱演してました。かわいすぎなくらい。かわいらしいので、余計にそのウラ若いかわいいコを仕込んでいいように使ってる双子の悪人感は上がってます。どこか「闇の子供たち」を彷彿とさせるのです。
余談ですがしょっぱなロニー宅トレーラーの中で「髪ばっかいじってんじゃねぇ!」とレジーに叱り飛ばされてるのには笑いました。(テディ初登場シーンで声しか聞こえないんだけどね)

でもそのゲイのギャングだ、バイの双子だR18と露骨なそっちを注目してみるとかなり拍子抜け感が出るのではないでしょうか。

そしてDVDの特典なのですが、監督のコメンタリー付き全編(まだ未見)とキャスト&クルーインタビュー。  このインタビューがもう数か月前にユーチューブに上がってるのと同じだったのはがっかりしました。新しいのなんか見れるかと思ったのに。↓



日本の配給会社さん!日本公開に合わせて何かゲットしてくれて日本版に追加してくれたら買いますわよ! …ってもこれは単館に近いし、そこまでお金かけてくんないだろうなぁ、誰も。

でもまぁ、クラブのシーンとかやっぱ大スクリーン仕様でしょ!あと4か月半、公開されたら観に行きます。

それにしても、映画は初回くらい大スクリーンでの感動を味わいたいと思うのはそんなに望み過ぎなことなのかしら? だって英アマのお世話にならなかったら、9月からうずうずしてすでに4か月半、なのにまだあと4か月半も待てだなんて道理が適っていないと心底思いますよぉ。
つまりレジェンドはキングスマンの7か月遅れと比べてもさらに遅い、9か月遅れ!
昔のように映画は公開されるまで存在すらしない時代ならいざ知らず、イマドキこんな長期間お預けだけなんて暴動ものじゃぁありません?

日が変わりそうですが、オマケの追記。
実物ロニー、フランシス、レジー。

実物写真みていつも、トム・ハーディ男前過ぎるよな〜〜と思います。
なので、ふたごの絡みのあの気味わるさを演じた彼は凄い役者っぷりだと思います。


2016年2月3日水曜日

タロン君は『ひゃんゔぁるぴゅっふゅぐぃんぎっひぐぉげぇるぃひぐろんぶぉっふぉしりおぐぉぐぉぐおる』で育った

待ち構えてるレジェンドのDVDがまだ到着しないーーーー!なので暇つぶしに備忘録作成。

オーストラリアのTVショウだったのですね、このエレンの部屋みたいなの。
この国でのトークショウは初出演とのこと。




ユーチューブにも上がっているのはタロン君出演してからだけのもの。タロン君登場の前にヒューが一人でエレン女史のお相手をしています。フルビデオがこちらで見れます。

タロン君相変わらずうけ答えがおかしい、かわいい。
エレンにヒューに初めて会ったとき緊張したかと聞かれて、『ウンすごく緊張した。でもヒューはいい人だって評判は聞いてたから大丈夫だったよ』 ヒューに『お前全然緊張してるように見えなかったぞ』と言われと、『ウンしてなかった。でもこういうふうに言ったほうがいいかなと思って言っただけ』と返してました。

そして相変わらず、このふざけた地名が・・・・話題となる。(笑)


ひゃんゔぁるぴゅっふゅぐぃんぎっひ ぐぉげぇるぃひぐろんぶぉっふぉしりおぐぉぐぉぐおる

エレン女史曰く何言っててもわからないし、なんでも言えちゃうじゃない…ですが、本当にそう。
なんでこんな名前がついてるの?に対して、『誰かがエレンショウでネタにするため』と答えるタロン君。あしらい上手になりましたね~。

前にも紹介したけど皆苦労して練習してます。



このふざけた名前の由来をタロン君ままなら知っているのでは…と会場のママ、ティナさんに話は振られたのですが、タロン君ママ、ウェールズへはタロン君が3歳にの時に引っ越したので、ウェールズ語は覚えられなかったのだそうです。ママ自身はリヴァプール出身。

なるほど。。。だからタロン君の名前もウェールズ語の言葉でつけようとしたら字を間違えてタロンになってしまったのですね。でもタロンパパをよほど愛してたからウェールズ語の名前を付けようとしたのでしょう。 ママもかわいい。
初めてTaron Egertonという名前をみたとき、どこ系の移民さんなのだろうと考えてましたよ。色白いし東の人かなーとか。

この後かわいいのがこのゲーム! ぜひ見てあげてください。一体誰が思いつくんだろう。(↓追加)


にしても、Eddieはまだ見れないし、空の上にある『レジェンド、狂気の美学』早く届いてほしい(涙)
最近英アマ遅めです。



2016.03.12

『ひゃんゔぁるぴゅっふゅぐぃんぎっひ ぐぉげぇるぃひぐろんぶぉっふぉしりおぐぉぐぉぐおる』 がらみでこんなのもありました。

このSuperfan キャスターの黒人のねえさん、論外ですね。タロンエガートンと言ってます。昨年度多くのアメリカ人がきっちりエジャトンと発音し続けてきたのにね。失礼な奴。