デヴィッド・マッカラムとロバート・ヴォーンの二人に対して、UNCLEで共演する前に
お互いを知っていたか?という質問に対しての答えの一部です。
『フロイトに出ていたデヴィッドが大好きでね。とっても美しかったんだよ。あれはちょっとしたセンセーションだったよ。』
とってもとってもとっても興味がわいてしまい、探したら、何と今年DVD化されていました。
どうやら昨年(東京ではちょうど今上映中)公開されたクローネンバーグの『危険なメソッド』が呼び水となり、『フロイト』も
DVD化されたみたいです。 英アマ、米アマでは購入できます。
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David McCallum が登場するのは、ほんの5分-10分ほどなのです。 ですが、彼の登場シーンは2時間強の映画の中で
一番インパクトがあっただろうと思います。 とってもきれいです。
トルソを抱きしめるカール・フォン・シュローサー(デヴィッド・マッカラム) |
史実に忠実らしい、当時は異端の若い心理学者の葛藤の物語であるはずのこの映画は、彼の登場で一気に
ゴシック映画のような妖しい美しさが加味されます。 幻想的な夢や回想シーンはまるでレ・ファーニュの世界。
デヴィッド・マッカラムって本当にフォトジェニックだったんですね。 50年前のカメラ技術であること、全体の流れからみても、
何らかの意図的に効果を加えて撮ったショットとも思えないのですが、幻想的に綺麗なんです。そこにこの人が居るだけで。
カール・フォン・シュローサーは後にフロイトがエディプス・コンプレックスという概念を提唱する発端となる患者です。
幻想的に美しい、デヴィッド・マッカラムは映画の前半どころか、最初の四半分くらいにしか登場しませんが、この映画、
とても面白かったです。 フロイトがどのようにして患者と向き合い理論を組み立てて行くか、またほんの言葉の端から、
自分自身の幼少時代をも振り返り、綿密に答えを探っていく姿が丁寧に描かれており、『危険なメソッド』(こちらにレビュー書いてます) よりずっと見ごたえのある映画です。
今では普通に誰でもが聞いたことのある精神医学論が全く存在していない時代の話です。
1962年製作ということは50年前、半世紀前の映画ですね。
監督はJohn Huston。
ちょっと、IMDbで調べてみたら、David McCallum 以外の人はほとんど鬼籍に入ってます。
驚いたことに音楽がナポレオン・ソロと同じJerry Goldsmith.
この方もつくづく時の人だったんですね。
音もゴシック感あふれるノイズ系+クラシックで、私的には
どストライク。 サントラも見つけました♪
精神分析学など全くなかった1885年。 病院で様々の症状を訴える患者を前に、何が悪いのか探り当てなきゃいけない
医師は、てんてこ舞い。 何が悪くて病気なのかさっぱりわからない患者もたくさんいます。
そんな中、病気は体の機能の不具合ではなく、精神的なものだと主張する一派があり、フロイトは彼らの行う催眠療法を効果的だと考え、自分も導入しようとします。
ですが、フロイトの勤める病院の院長メイナートは催眠療法を認めず、フロイトは病院を追われます。
催眠療法を提唱しているブロイラー医師につき、共同研究者として、フロイトも催眠療法で患者の往診を始めます。
患者が覚えていない記憶を催眠療法で呼び戻して、本人に原因を認識させることで、症状は治まります。
そんなある日、フロイトはシュローサー将軍の屋敷に呼ばれます。 将軍の息子カールの乱心の治療です。
外から鍵のかかる部屋に軟禁されているカールは詩を愛する澄んだ瞳をした青年。突然の客人におどおどと、気を使う
繊細でやさしげな若者です。 軍人である父親を尊敬していると、部屋には将軍が若いころに出征の時に着ていた
軍服をトルソに着せて飾っています。 でもその尊敬する父親をカールは攻撃したのです。
「精神病院に入れるのか。」と混乱しているカールに催眠治療を行います。(カールの睫毛の影がとてもきれいです。)
フロイト「事件の日、何をしていたんだね」
カール「僕は父がナイフで肉を切り分けているのを見ていた。ナイフが光を反射して、その合間に父が僕を憎しみのこもった眼で睨んでいた。 あいつは僕の喉にナイフを突き刺すつもりだ。僕もにらみ返した。僕たちは、にらみ合って、
一触即発だった。奴が先に手をだすか、それとも僕か。だったら、僕が先制を切る。薄汚い豚野郎!お前の血を流してやる」ナイフを握りしめ、声を荒げるカール。
フロイト「どうして父上を豚なんて呼ぶのだね?」
カール「あいつは、若い女の子をレイプした。まだ17歳だった女の子。僕の母さん。」
夢遊病者のように立ち上がり、ナイフで父親の軍服をはぎ取ると、カールはトルソを愛おしげに抱きしめ、
「母さん」とつぶやいて、キスをします。
その姿を見てフロイトは激しく動揺してしまいます。とりあえず、カールの催眠は覚ますものの、記憶の認識はさせず、
なかったことにして、そそくさと立ち去ります。 その晩からフロイトは悪夢にうなされるのです。
フロイトはカールと長い綱でお互いをつないだ状態で崖を登り、洞窟に入ります。奥にはフロイトの母が座っています。 先を行くカールが母に寄り、抱きしめてキスをするのです。 フロイトは怒ってカールの綱を引き戻し、洞窟の外につき落とします。 転落するカールの綱に引きづられ、綱をナイフで切り放そうともがくフロイトを高らかにあざ笑う父の声が響き渡ります。
毎晩、悪夢にうなされるフロイトは患者の往診も治療もやらなくなってしまいます。
半年以上が過ぎ、ブロイラー医師が訪ねてきます。かつて追い出された病院の院長メイナートが心臓発作を起こしたのです。メイナート院長にすぐさま来るように言われ、死ぬ間際の院長と和解します。メイナートはフロイトを息子と思い、後継者としても高く評価していたからこそ、旧態依然とした病院から外に出したのです。
フロイトは改めてシュローサー家に向かいます。 ですが屋敷にひと気はなく、将軍はザルツブルグに住んでおり、
息子のカールは収容先の精神病院で肺炎で死んだと聞かされます。
治療を行えず、死なせてしまったカールに詫びながら、フロイト帰途につきます。
そこからフロイトは人が変わったように、治療にも研究にも励みます。
そしてかつて自分も治療に関わったことのある、セシリー・ケルトナーと言う女性の催眠療法に同席するうちに、
催眠療法で蘇る記憶に矛盾をみつけ、必ずしも正確でないことに気づきます。 記憶のさらにその奥に意図的に蓋をされている隠された記憶があったのです。(深層心理ですね)
セシリーは父親の死後、具合が悪くなり、医者を変え、手を変え、治療を続けていますが、一瞬治ってもまた、何かと問題を起こしています。
そんなセシリーにフロイトはオブセッシヴなほど、根気よく付き合います。彼女の見る夢、彼女の発する言葉に、なぜなのか…という問いかけと関連付けを行い、矛盾は洗いだし、また新たに根本を突き詰める…という作業を繰り返し、彼女の治療と共に自説を完成させていきます。 人間の心は一枚岩ではないのです。 この一つ一つの過程にかなり衝撃的なものも有ります。 蓋をしていた記憶を呼び戻され、自傷に走ることもあり、つらい作業です。 またフロイトは自分の父親の死と葬儀をきっかけに自分自身の心の闇にも焦点を当てて探っていきます。 カールが登場していた夢は、子供時代のフロイトに置き換わり、自分の中の母親への愛情と執着、父親への畏怖、ライバル心なども認めていくのです。
そうして、母と娘の確執、父と娘、または母と息子の近親相姦的愛情、夫婦の問題、父と息子、幼児の性・・・と今では基本として定説になっている論説(自身に当てはめて受け入れるか否かは別として)を次々と提唱していきます。
でも今時でも、自分があてはめられたら、大半の人が拒絶するであるように、19世紀末には誰にも受け入れられないのです。 学会で手ひどく嘲笑を浴びるフロイト。
フロイトの気が遠くなるほどの問いかけと検証をずっと見続けてきたこと、おまけにフロイトが提唱していることは
21世紀の我々にとってはかなり、あり得るものとして常識であることも有り、
学会のエラそうな医者たちにバケツの水でもかけてやりたい気分になってしまいます。
異端者のフロイトは後世には高く評価されます。 彼の努力と粘り強さは、それにふさわしいものに思えます。
長いけど、長さをさほど感じさせない映画です。
ターミノロジーもそこそこ多いのでSDHつけてくれたら助かるのですが、古い映画でそこまでのサービスがないのがや難点。
でも一見の価値は大有り。 幻想的に美しい、デヴィッド・マッカラム見るためだけでも十二分です。
2013.01.11 追記
驚いたことに(って私が知らなかっただけだって!) この映画、日本公開もされていたようです。
フロイド 隠された欲望(1964年公開)真面目なレビューも書いておきました。(こちら)
↑てんてんがついているから、検索してもあたらなかったのね。フロイトでしょう、ふつー
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